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2017-11-22

「今昔物語」夏見から行田方面

写真で見比べてみる“地元”の今と昔の風景を紹介している連載コーナー「今昔物語」。

今回のテーマは、「夏見から見た行田方面」です。

昔の写真(1959年)*写真提供:船橋市郷土資料館

現在の行田公園一帯の円形道路といえば、読者の皆さまもご存知の通り、その昔行田にあった海軍無線電信所の名残です。

1915年に開所し、歴史的な無線通信がこの地から行なわれました。

有名な記録では関東大震災時の被害状況を国内外に発信して救援活動に多大な貢献をし、太平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ」の電波もここから発信されました。

終戦後も船橋のシンボルとして市民に広く親しまれていましたが、1971年に解体作業が始まり翌年春に終了しました。

現在の写真と見比べてみましょう。

現在の写真

昔の写真では無線塔が何基もそびえ立っているのが確認できます。主塔(200m)の周囲を18基の副塔(60m)が取り囲んでいました。

終戦から14年後の写真で、周辺はのどかな田園風景が広がり、当然まだ大きな建物はなく、夏見から行田まで平坦で視界を遮るものはありません。

現在、中津川沿いは住宅街となり、手前に立ち並ぶマンション群は新船橋駅周辺の再開発された地域です。この奥に無前電信所の跡地に建った行田団地がありますが、今はこの位置から見る事が出来ませんね。

↓撮影場所はこちら

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