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2017-07-19

“幻”の「昭和放水路」の名残りを探して〜@東船橋あたり

昭和放水路ってご存知ですか?

知っている人は結構な歴史通か、地理マニアな方でしょう。

正式名称は「利根川放水路」と言います。

利根川の流水を一部東京湾に流すことで、洪水被害を防ごうと昭和14年(1939年)に堀削工事を開始したのが昭和放水路計画です。

しかし太平洋戦争の影響で工事は中断され、終戦後も工事が再開されることはありませんでした。

結局この放水路計画が正式に廃案になったのは平成16年(2004年)でした。

船橋市内には距離標や橋脚跡が今もそのまま残っている所があります。

今回はそんな昭和放水路の名残を感じられる場所をご紹介していきます。

まずは下の地図をご覧ください。

国土地理院「電子国土WEB」地図および標高データをもとに「カシミール3D」により作成・加工

放水路の計画があった所を地図に書き込みました。実線が堀削された部分、破線が工事されなかった予定地です。

なるほど最終的に谷津干潟から東京湾へと続いているのがわかりますね。

場所のポイントもアルファベットで地図に入れてあるので、写真とヒモづけてご覧ください。

A_県立船橋高校グラウンド

A:船橋高校のグラウンドは何故か周囲より窪んだ所にあり、片側は土手のようになっていて昭和放水路の堀削工事の跡が見て取れます。

B_放水路距離標

B:同じく県立船橋高校の野球場近くの民家前に昭和放水路の距離標が残っています。「内」は内務省で起点から1,000mを示すものです。

C_放水路橋脚跡

C:京成線の目の前、自動車修理工場の敷地内に昭和放水路をまたぐための橋脚跡が残っています。

D_谷津干潟

D:昭和40年に開かれた塩田跡。昭和放水路の加工になる予定でした。

E_放水路用地

E:296号線の小さなトンネルをくぐった所の空き地。ここも昭和放水路の用地だったそう。

 

いかがだったでしょうか?

普段何気なく通り過ぎている場所にも意外な歴史が隠されているものですね。

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