白井市の一文字地名(「木」「根」「復」)の由来とは?
白井駅の周辺にある「白井市木」「白井市根」「白井市復」という地名。
「この“木・根・復”の一文字地名って何の意味があるんだろう?」
自分で調べるまではいかないけど、気にはなっていたという人は多いのではないでしょうか。
そんな素朴な疑問を解決するのが我々「鎌ヶ谷船橋あたり」の使命…すみません言い過ぎました。
まあ個人的にも気になっていた事なので、調査してみました。
一文字地名が誕生したのは明治維新の廃藩置県後
調べてみたところ、一文字地名が誕生したのは明治7年(1874)に明治維新後の新政府が行った廃藩置県だとわかりました。
廃藩置県によって以下の3つの村ができたそうです。
●根村←白井木戸新田、七次新田、中木戸新田、七次村
●木村←所沢村、野口村
●復村←長殿村、法目村、富ヶ谷村、富ヶ沢村
そして明治22年(1889)にこの3つの村が合併して白井村に。
その後も字名として地名に残り、現在まで続いているそうです。
“木・根・復”の由来は地形だった?
そもそも地名の由来は、元々の地形に関するものが一般的。
(例えば、「谷」がつく地名は窪地になっていたり、「台」がつくところは周囲より標高が高くなっていたりと)
また、地名は他のエリアと区別するため、そのエリアならでは特徴を表していることが多いのですが、「木」や「根」ってどこにでもありますよね?笑
「根」地区は、神崎川最上流の台地の付け根にあたります。
一方で「木」はその下流、谷や支流が分岐するあたり。
上記を踏まえて「明治7年に村の名前を決める際、当時の地形をイメージして、これらの名前がついたのではないか」という説があります。
とすると「復」は?
という疑問が残りますよね。
復村には、村が誕生した明治7年に学校が開設されています。
「この地域の中心となる場所を、人間の体で重要な”腹”に例えて、こう名付けられたのではないか」という説があります。
残念ながらこれらの説は、地元の郷土史研究家の方々の間でも確証は得られていないのが現状ですが、なかなか説得力がありますよね!!
もし、今回のような皆さんが住んでいる街に関して素朴な疑問がありましたら、下記の情報提供フォームからお気軽に調査依頼くださいね。