鎌ケ谷市民のソウルフード「博士ラーメン」は医師家系が作る奇跡の1杯だった!
皆さん如何お過ごしでしょうか?自称日本一ラーメンを食べているアスリート(自分調べ)こと一場治之進です。
気づいたら44回目になるんですね~。初期の頃は「これからも鎌ケ谷・船橋・白井あたりのラーメン屋さんを取材し、イチバ的視点でお店の魅力を皆さんに伝えて行きたいと思います。」って冒頭に入っていたのを覚えていますか?
今回はそんな原点に戻って、鎌ケ谷市民のソウルフードとして長年愛されてきたあのお店・・・「博士ラーメン」に取材に来ました。
知っているようで意外と知らない「博士ラーメン」の歴史を今回はガッツリと深掘りしてきました。
場所
東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅東口を出て、目の前を走る県道8号線(通称:船取線)を左・我孫子方面に進むと右手に見えます。駅から100m程なので、アクセスは抜群です。駐車場も広いですね。
店内・メニュー
店内は暗めの照明でアジアンテイストな雰囲気ですね。かなり広く天井も高いですね。お洒落です。席数はカウンター10席、テーブル4席×7、6席×2、座敷7席×4、6席×1、4席×1ととても広いです。
イチバは塩と味噌に未練を残しながら左上の法則に従って「特醸正油ラーメン」を注文しました。パクチーは苦手だがタイ料理は好きというイヨリ編集長は「トムヤムクンラーメン」を注文しました。
調理と研究所
社長の田中さんにお願いして調理(研究)風景を見学させて頂きました。
「実は敷地内に研究所があるんです」
け・・・・・研究所???
まさかと思い、田中さんに着いていくと・・・あ、ありました・・本当に。
「ここで私がスープと麺の研究と仕込みを行っています。中は企業秘密ですが。」
実は田中社長がスープと麺の研究や仕込を行なっているそうです。
「麺は私が打っています。レシピや打ち方は言えませんが、現在科学的に薬品で作られているカン水を使用しないんです。そのせいなのか、通常は数年で変えなければならない製麺機の鋳鉄で作られているローラーが40年経っても変形せずにツルツルでメンテナンスの業者が驚いていました。」
そんな製麺所ならぬ研究所を後にし、厨房に戻ります。
厨房内には香ばしい匂いが漂っていますね~。ラーメン専門とタイ料理専門のシェフ達が動いています。
「スープは鯖節・鯵節・鰹節・鮪の頭・ゲンコツ・野菜ですね。それを24時間じっくりと煮込んでいます。四角い寸胴は厨房を効率的に使うことや熱伝導効率を考えて、この形になりました。90cmで300リットルは丸の寸胴じゃ無理ですね。油は自家製の油を使用しています。」
特醸醤油ラーメンをいただく
見た目はかなり「和」の雰囲気ですね。丼から節系の心地よい香りが漂います。
スープは蕎麦やうどんにも似た「和」のテイストで、一口目に節系の旨味がガツンと感じます。化学調味料不使用との事ですが、物足りなさは皆無ですね。キレとまろやかさの両方が感じられる旨味がギュッと詰まっていて、後味はスーッと潔く消えるのが特徴です。正直、かなり美味いです。
旨味が強いのに後に重さが残らないのが大きな特徴です。
麺がかなり特徴的で、カン水不使用との事ですが・・・かなりの弾力がある太ストレート麺です。これも「うどん」を思わせる食感ですが、しっかりとラーメンの枠に入っていますね。優しいコシが感じられます。スープとの相性も抜群に良いですね。
具はしっかりと焼かれて旨味もギュッと詰まった厚めの肩ロースチャーシュー・メンマ・奥久慈卵の味玉・葱と、素材の質も含めてデフォのメニューとしては超豪華です。
トムヤムクンラーメンをいただく
まだ食べられそうなイチバは編集長が注文した「トムヤムクンラーメン」を一口貰いました。
エビの頭でとったベースの出汁にタイのハーブ類が加わり、爽やかな酸味と辛味が特徴的なトムヤムクンスープに、ほんのりとラーメンの和なエッセンスがアクセントとなり和とタイの融合を感じさせる、アジアンテイストな1杯に仕上がっています。
「よかったらこれも食べてください・・」と田中社長からご好意で頂いたのは「海老しんじょう揚げ」そして名物とも言える「博士餃子」です。
医学博士とラーメン
社長の田中さんにお話を伺いました。
田中さんは鎌ヶ谷市出身で、親・兄弟含む医師家系に生まれました。
「父は医師で日本で最初の栄養大学の学長に任命されたんですよ。」
日本で最初の栄養大学と言えば、神奈川県立栄養短期大学で、確かに初代学長には「田中静雄」氏の名前が記載されています。
「もともとは父は大阪の出身で、金沢医大で研究していた関係で兄たちは金沢で生まれました。その金沢では昭和天皇の前で行われた実験、”北陸大演習(摂正宮殿下御統監北陸大演習)”も行ったそうです。その後、研究が評価されて鎌ヶ谷で病院と研究室を建てようとした矢先に栄養大学の学長になったそうです。父は根っからの研究者なんですよ。」
田中さんは、そんな家系に育ったものの・・大学は工学部へと進学したそうです。
「学生時代は色々なバイトをしました。その中で、後楽園のドイツ料理のお店でアルバイトした時に、オーナーシェフが創意工夫しながらお店を営業しているのを見て、自分も飲食店をやってみたいと思ったんです。そして、大学の在学中に”服部専門学校”で調理師の免許を取得しました。」
でも、医師の家系でありながら料理人とは・・・お父さんの反応は?
「当初は反対されましたね。お金も出さないと言われたので、就職して資金を貯めました。すると私が本気だということがわかってもらえたようで、色々と協力してくれるようになりました。父は医師として研究者として”食は身体を中から良くする”と言い、食に対しての理解がある人でした。」
「食といっても色々な料理がある中で、私はラーメンに目をつけました。ラーメンは気軽に食べれる国民食でありながら、当時本格的にラーメンを研究しているお店はなかったですから。その後15店舗程で修行し、食べ歩いて自分が美味かったと思ったお店の味や作り方を勉強しました。」
そして1976年にかつて父が病院を建てる予定だった現在の場所に6坪のお店をオープンさせました。
「ラーメン屋をオープンするにあたって、父が身体に良い物を作るならと店を”博士ラーメン”と名づけて医学的な見地からアドバイスを貰いました。当時としては珍しかった化学調味料不使用、カン水も使わない麺も開発しました。通常、カン水を使わないと大量の卵を使用するのですが、父はコレステロールが溜まるので卵も1日1個までと言っていたので卵も使っていません。また麺には医師の兄からのアドバイスでキャベツの青汁・黒ゴマ・ギムネマシルベスタ(東南アジアに広く自生する葉)も入れました。」
こうして自身が磨いてきた料理の腕と、医師家系の親族からのアドバイスを融合した、健康に良いラーメンとして「博士ラーメン」は生まれ、その美味しさが評判を呼びお客さんは増えていきました。
博士ラーメンと音楽
その後は「鎌ヶ谷の美味いラーメン屋」と噂になり、2時間待ちの行列店になったとか。そう言えば、イチバが幼い頃に博士ラーメンにはバスが停まっていた記憶があります。
「あのバスはキャベツが高騰した時に”じゃあ生産者に直接買い付けに行こう”って思って大型免許取得して嬬恋まで行くのに使っていたんです。そのうち、走らなくなってからは雨などでも濡れずにお客さんが楽しく待てる様にバスを開放したんです。」
「楽しく過ごしてもらう事について、父は”怒って食べると栄養が吸収されない”って言ってました。いつも父はニコニコしていましたね。それに、ドイツ医学者のシュヴァイツアーの影響で家にピアノがありましたね。その影響も有り、お店の敷地に人工芝を敷いて待っているお客さんの為にコンサートを開いたりしました。」
待っているお客さんの為にコンサートを開くなんて、素敵ですね。
その後お店は順調に広がり、フランチャイズも含めて大町・市川南口・船橋・松戸・流山・高根公団・・そして「博士レストラン”ラスベガス店”」も。兄が音楽関係の仕事を行っている事もあり、そのアドバイスから市川南口店はカウンターをピアノの形をモチーフにしたと言うエピソードも有ります。現在はフランチャイズをやめて、クオリティーの維持の為に鎌ケ谷のみの営業との事です。
タイ料理に挑戦
鎌ヶ谷市民にとって「博士ラーメン」と言えば、「タイ料理」を途中から始めた印象があります。唐突に始まった感のあったタイ料理。きっかけは何だったのでしょう?
「実は、オープンから17年後に従来の店舗を別館にして、奥に本館を建てたのですが・・その時期に兄の勤めていた大学がタイの大学と提携するという話を聞いて、一緒にタイに行きました。タイ人は癌の発生率が低くて、それはタイの大学との研究でトムヤムクンに入っているハーブのおかげと言われていて、”これはお店に取り入れたい!!”と思っていた所だったのです。」
こうしてタイの名門「チュラロンコン大学」に行かれたそうです。
現地スタッフを日本に連れてきて本場のタイ料理を出したいと考え交渉したところ、技能ビザが取れる規模のレストランならば、(タイの)五ツ星ホテルのスタッフを紹介すると言われ、建てようと思っていた本館をタイ建築にしたというわけです。それで現在のような異国情緒あふれる独特な作りの建物になったという訳です。
こうして本館ではラーメンに加えてタイ料理を提供する事になりました。
「本館では従来のラーメンに加えてタイ料理やトムヤムクンラーメンを提供しました。今でこそ受け入れられているタイ料理独特の匂いには、当時お客さんからクレームもありましたね。」
本館と別館で同じラーメンだと芸もないので、別館では麺の太さを変え、チャーシューも焼いていました。ちなみに、当時話題だった「DHAとEPA」を豊富に含む鮪を使用したのはこの時期からだったとか。
イタリアンに挑戦
「タイ料理の後には画家である娘が設計を行なったイタリアンを始めたんです。もともと父が土いじりが好きで庭園を作っていたので、それを活かせないかと思い始めました。イタリアンに欠かせないオリーブも健康長寿の源ですからね。」
こうしてできた「ドクトーレ」は、イタリア料理歴20年のプロシェフが腕を振う本格イタリアン料理を出し、ピッツァに使う石窯はイタリアから直接輸入したと言います。また生パスタにはラーメンの製麺技術を取り入れて、同じく黒ゴマ生キャベツ・ギムネマシルベスタなどをパスタに練り込んでいたそうです。
医学博士である父の研究から、ラーメンそしてパスタへ。シルクロードを渡った麺文化のように繋がっていった訳ですね。
現在はドクトーレは閉めて、元別館の場所に聖子さんのギャラリーを兼ねたカフェがあります。別館のラーメンは本館に引継ぎ、今でも食べる事が出来ます。
これからも博士一族の研究と挑戦は続く!!
マッスルコメント
スケールの大きな話を聞いて・・イチバも挑戦マッスル!!!!
博士ラーメン
住所/鎌ヶ谷市道野辺本町1-15-12
TEL/047-445-7811
営業時間/11:30~22:30(LO 22:00)
定休日/無休
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